日本で初めて「エレキテル」(静電気発生機)を修理復元
平賀源内は享保13年(1728年)、讃岐国寒川郡志度浦(現在の香川県さぬき市志度)の白石家の三男として生まれました。白石家は、もとは海ノ口城(長野県南佐久郡)の城主であった平賀氏で、武田信玄の初陣で有名な海ノ口城の戦いで落城。その後、奥州の白石に移り伊達氏に仕えて白石姓に改め、さらに伊予宇和島藩主となった伊達秀宗に従い四国へ下り、讃岐で帰農したとの伝承があります。源内の代で姓を白石から平賀に復姓したと伝わります。源内は13歳から本草学、儒学を学んだ後、長崎で本草学とオランダ語、医学、油絵などを学びました。その後も大坂・京都で学び、江戸に出て漢学などを学びました。このように多彩な才能を持った源内は、長崎で壊れたエレキテルに出合うのでした。これを持ち帰り、安永5(1776)11月48歳の時に、日本人として初の修理復元に成功しました。今回は、源内の生まれ故郷である志度を訪れ、ゆかりの地を見学します。