「うつけ」と称された青年時代
織田信長は天文3(1534)年5月、織田信秀と土田御前(土田政久の娘)の間に嫡として誕生。幼名は吉法師。信長の生まれた「弾正忠家」は、尾張国の下四郡の守護代であった織田大和守家(清洲織田家)の家臣にして分家であり、清洲三奉行という家柄であった。信長は、早くに信秀から那古野城を譲られ、城主となっており、『信長公記』によれば、信長には奇天烈な行動が多く、周囲から「大うつけ」と呼ばれたと言われている。しかし、信秀死後、家督継承から尾張統一、そして美濃制圧後は「天下布武」を掲げて、やがて天下人として歩みます。今回のツアーでは、信長が青年時代のゆかりの地を巡ります。