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  5. 歴史を変えた瞬間 小倉口の戦いと石州口の戦い
新コース
  • 3日間
  • 福岡・山口・島根
  • 歴史を学ぶ旅
コース番号
005247

歴史を変えた瞬間 小倉口の戦いと石州口の戦い

  • 小倉城(イメージ) 小倉城(イメージ)

第二次長州征討【四境戦争】②

 元治元(1864)年7月19日の「禁門の変」によって、長州藩は朝敵となりました。7月23日、朝廷は幕府に対して長州追討の勅命を発した。幕府は長州藩主・毛利敬親と養嗣子の定広(後の元徳)に京都で禁門の変を起こした責任を問い伏罪をさせるため、尾張藩・越前藩および西国諸藩から征長軍を編成した。しかし、長州藩への具体的な処罰を決定しないかった為、独自に動いた薩摩藩の仲介のもと、三家老(国司親相、益田親施、福原元僴)の切腹と四参謀(宍戸真澂、竹内正兵衛、中村九郎、佐久間左兵衛)の斬首、五卿(三条実美、三条西季知、四条隆謌、東久世通禧、壬生基修)の追放、藩主父子からの謝罪文書の提出山口城破却という長州藩にとっては寛大な処置として決着しました(第一次長州征伐)。しかし、長州藩内で高杉晋作が挙兵し、長州藩内の佐幕派である長州俗論派を失脚に追い込む事に成功。そして軍備増強に乗り出しました。この動きを察知した幕府は再度の長州征伐を決意し、慶応2年(1866年)6月5日をもって諸方面から進撃すると決定しました(第二次長州征伐)。この戦いは大島口・芸州口・石州口・小倉口で行われた為、山口県では「四境戦争」と呼ばれています。6月19日に大島口と芸州口にスポットをあてたツアーの後編になります。今回のツアーでは、小倉口の戦いと石州口の戦いにスポットをあてて見学します。

ツアーの出発日と募集状況・お申込み

出発日 旅行代金
(お一人様:税込)
募集状況 受付状況
2024年12月18日(水) 1名1室 130,000円 催行決定 お申込み受付中

ツアー詳細

旅行条件 最少催行人員6名/添乗員が全行程同行いたします。
貸切バス会社名 千里山バスまたは同等クラス
食事条件 朝食:2回/昼食:1回/夕食:1回
宿泊施設 【1】北九州市・ホテルルートイン門司港(1名1室)
【2】浜田市・ホテルルートイン浜田駅前(1名1室)
服装と持ち物 ウオーキングシューズでご参加ください。
その他 現地の見学の為、マイクロバス利用になる場合があります。

基本スケジュール

日数行程食事
1 JR新大阪駅(8時~8時30分)発―(新幹線)―JR小倉駅=小倉口の戦い【〇手向山公園(小倉口の戦いの激戦地であった赤坂の戦いの古戦場を望む)=○慶應丙寅激戦の碑(この地が激戦地だったことを示す碑)=○延命寺(幕府方の熊本藩の本陣)=○宗玄寺(幕府軍の本陣)…○福聚寺(小笠原氏の菩提寺。お寺は長州藩との戦闘に巻き込まれた)=○小倉城址(幕府方である小倉藩・小笠原氏の居城。孤立した小倉藩は城に火を放ち香春に退却した)=○香春藩庁址(小倉藩は長州藩に小倉を含む企救郡を占領された為、新たに藩庁を置いた場所)=○香春藩庁門】=北九州市(泊) ×
2 =○嚴島神社(下関市)(安芸国厳島神社より分霊された神社。高杉晋作が戦勝祈願を行ったと言われている)…高杉晋作終焉の地=石州口の戦い【○萬福寺(幕府方の浜田藩の本陣が置かれた場所)=○扇原関門址(浜田藩と津和野藩の境界で、「石州口の戦い」の火ぶたが切られた場所)=○机崎神社(長州藩が軍議を開いた場所)=○妙義寺(長州軍の本陣と野戦病院が置かれた場所)=○医光寺(幕府方の福山藩の本陣址)=○聖徳寺(幕府方の紀州藩の本陣址)】=浜田市(泊)
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3 =石州口の戦い【〇浜田城(浜田藩・松平(越智)氏の居城。藩主が一橋慶喜の実弟であった松平武聰。敗北を悟り、浜田城を放棄して飛地であった美作鶴田へ逃れた)=〇鶴田陣屋址(浜田藩の飛地。本拠である浜田の地が長州藩に占領された為、800余名の藩士やその家族が結集した)=梅田17時ごろ着
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【行程中の記号】
=バス →航空機 —列車 〜船舶 …徒歩 ≠ロープウェー
◎入場観光 ○下車観光 △車窓観光

ツアーの出発日と募集状況・お申込み

出発日 旅行代金
(お一人様:税込)
募集状況 受付状況
2024年12月18日(水) 1名1室 130,000円 催行決定 お申込み受付中

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