〜山記者の目〜 2018年06月07日 小野博宣
関東・富士周辺の山江戸情緒を伝える丹沢・大山(1252m)
「大山は丹沢山塊の別格」(『日本百名山』丹沢山)。そう記したのは、随筆家の深田久弥氏だ。しかし、この「別格」はほめ言葉ではない。この前段で「現代の登山者は........因縁じみた人間臭い山(筆者注=大山を指す)を避けて、もっと自然のままの原始的な山に惹かれる」とある。
2018年1月3日の大山からの眺望。写真ではわかりにくいが、房総半島から伊豆半島まで見渡せる
つまり大山は、人間臭すぎて惹かれない山、ということになろう。
子供のころから大山を眺め、中学生時代には大山での道迷い遭難を経験したこともある。そんな筆者からすれば、「人間臭くて何が悪い」と開き直りたくなる。
何しろ、大山は信仰の山として、最盛期の宝暦年間(1751年~64年)には年間20万人もの檀家集団「大山講」が訪れたという。江戸の人口が100万人ともいわれた時に、その5分の1に匹敵する人々が詰め掛けたのだ。そもそも,人が群がり、人とのかかわりの中で存在感を発揮してきた山なのだ。
大山ケーブル駅へと続くコマ参道。古い「玉垣」が見られる(右側の石柱)
自由な旅行が許されなかった時代に、大山や江ノ島に詣でた江戸庶民たち。宗教行事ではあるが、大いに楽しみにしていた旅行だったに違いない。
その痕跡は、宿坊や売店、食堂が並ぶコマ参道に色濃く残る。
宿坊の周囲には、講からの寄進で建てられた石柱「玉垣」が並ぶ。こけむしたものも多い。かつて宿坊前には講名を染めた「布まねき」が掲げられたという。そして、それを再現した色とりどりの、平成の布まねきが江戸情緒をかもし出している。一見の価値はあると思う。
江戸情緒を今に伝える「布まねき」がはためく
参道を抜けると、ケーブルカーの駅に着く。そこから男坂、女坂のどちらかを登るのもよし、ケーブルカーの力を借りるのもよしだ。しかし、紅葉の時期の女坂はぜひお勧めしたい。
終着駅は標高約700㍍付近となる。そこには大山阿夫利神社下社が建つ。ここから1252㍍の山頂への登山道が始まる。
急峻な石階段をゆっくり登ると、歌碑が建っている。
「豊作をたたへ 大山 仰ぎけり 伊代次」
俳人・滝沢伊代次氏の作品だ。豊作をもたらした大山を仰ぎ見た、ということだろう。山が豊作をもたらすというのもピンと来ないが、大山の別名は「雨降山」「阿夫利(あふり)山」という。雨が多く、その雨水はふもとの田畑を潤してきたのだろう。優れた大山研究を紹介している産業能率大学のサイトによれば、「古くから神体山であった阿夫利山は、農民に水分(みくまり)神のいます所として崇められ、霊水信仰の場でもあった」と記されている。
大山講の人々だけでなく、地元農民にも頼られた存在であったことがわかる。
十六丁目追分の碑。3㍍以上もある石碑だ。「初建は一七一六年」とある。江戸時代から旅人を見守ってきた
岩や泥が露出した登山道を約2時間、じっくりと登る。山頂からの大展望は2015年、旅行ガイドブック「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」改訂第4版(仏語)で、「大山阿夫利神社からの眺望」として取り上げられた。さらに、星2つ(寄り道する価値がある)が与えられた。また、大山そのものも星1つ(興味深い)となった。
江戸庶民が殺到した「人間臭い」大山を、フランス人は「興味深い」とみてくれたわけだ。泉下の江戸っ子たちはなんと思うだろうか。きっぷのいい江戸弁で、「あったりめぇよ」と言っているかもしれない。
ただ、私が訪ねた2018年5月13日はあいにく雨がちだった。雨降山らしいお出迎えだったといえよう。
雲に煙った山頂の写真では芸がない。以前撮影した快晴の写真も紹介しよう。写真ではわかりにくいが、房総半島から伊豆半島までの相模湾を一望におさめるぜいたくな眺めだ。
【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイド・小野博宣】
ツツジの咲く登山道を毎日新聞旅行の一行が歩く。先頭はテレビなどで活躍している太田昭彦山岳ガイド
●アクセス●
関東地方は、小田急線伊勢原駅からバス。割引周遊券「丹沢・大山フリーパス」が便利だ。関西からは小田原駅まで新幹線で行き、伊勢原駅へ。
●引用・参考文献●
「日本百名山」(深田久弥著、新潮社)
サイト「丹沢・大山 歴史街道ものがたり デジタルアーカイブ」(産業能率大学)
- 〜山記者の目〜プロフィール
- 【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイド・小野博宣】
- 1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日新聞山の会」会長