毎日山の旅日記

毎日新聞旅行

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関東・富士周辺の山花咲く宝永山(2693m)

 月面のような、荒涼とした登山道を踏みしめて、富士山の側火山である宝永山の山頂を目指した。

 この山が、江戸時代の大噴火で生まれたことはよく知られている。富士山を静岡県側から見た時に、右側の稜線にポコンと飛び出ている山だ。歌川広重の浮世絵にも描かれている。

 宝永4年11月23日(1707年12月16日)午前10時過ぎ、富士山東斜面の6合目付近から噴気が上がり、空前の大爆発を引き起こした。吹き飛んだ山体は10億立方㍍ともいわれ、大量の火山弾、石と火山灰が噴出し、ふもとの村を焼き尽くし、多くの家屋を埋めた。火山灰は遠く江戸まで降り積もった。儒学者・新井白石の自叙伝「折りたく柴の記」には以下のような記述がある。

 「(江戸城の)西ノ丸にたどりつくと、白い灰が地をおおい、草木もまたみな白くなった……やがて御前に参上すると、空がはなはだしく暗いので、あかりをつけて進講をした」(現代語訳)

 白いものは火山灰であり、空を夜のように暗くしたのも火山の噴出物である。新井白石は学者として冷静な観察記録を後世に残したといえるだろう。

月面のような宝永第1火口 月面のような宝永第1火口

 富士宮口5合目の登山口を出発し、カラマツ林を歩く。梅雨空の、冷たい風がほほをなでる。徐々に登りになり、宝永第二火口の縁に出る。標高はすでに約2500mもある。ゆっくり歩き、深い呼吸を意識しないと高山病になりうる高さだ。

 ここから先は、砂と石、岩の上を踏むことになる。30分も進むと、第1火口の底に到着した。大人の背丈ほどの岩石がごろごろし、茶色の土と、灰色の砂と石の世界だ。殺風景としか言いようがない。

 ここからの登りがきつい。急傾斜の登山道を少しずつ歩む。一歩踏み出すと、砂地のため半歩ほどズルズルと引き戻される。なかなかはかどらず、もどかしい。息もあがってくる。

 こうした場所を歩くには、左右の足の間を開き気味にして、つま先を逆八の字のようにして足の裏全体を斜面に置くようにする。また、前後の歩幅は狭くする。そして、「ゆっくりゆっくり」と自分に言い聞かせて、浮石を踏まないようにそろりそろりと足を前に出す。

 1時間も登れば、稜線の馬の背に飛び出る。そして、展望の良い宝永山の山頂は目と鼻の先だ。富士山の、あの“ポコン”に立つことになる。時代こそ違え、空前の大災害の現場に身を置くわけで、神妙な面持ちになる。

砂と石の世界を登る登山者の皆さん 砂と石の世界を登る登山者の皆さん

 宝永大噴火に関して2冊の本を紹介したい。古文書などの一次資料に丹念に当たった名著「富士山宝永大爆発」(永原慶二・著)は甚大な被害の実態を今に伝えてくれる。新田次郎の労作「怒る富士」は虚実織り交ぜた小説ながら、被災民とその救済に当たる武士たちの苦悩を克明に描いた。これらの本を登山前に読んでおけば、大噴火に向き合った人々への思いが深くなる。登山そのものが歴史への旅になる。

 

 登頂した日は、雲が沸き立ち、富士山の美しいスカイラインは望めなかった。が、時折切れる雲の間から、雲海の広がりを確認できた。初心の登山者からは「すごい迫力」「初めて雲海を見た」と歓声が上がった。

 砂地の下りは、登りよりも気を使う。ズルッと足をとられて、尻もちをつかないように慎重に下る。富士山の下山路は、何時間も砂と石の上を歩くことになる。宝永山は、富士登山の練習としてはうってつけだ。

雲沸き立つ宝永山の山頂 雲沸き立つ宝永山の山頂

 樹木のない登山道を歩いていると、緑色の草があちこちに生えているのが目に付く。厳しい環境に強いオンタデが黄色い花を揺らし、フジハタザオの白い花が愛らしい。

 「厳しい環境」と記したが、どれほどのものなのか。標高が100㍍上がるごとに、気温は-0・6度下がる。東京や大阪が30度の暑さでも、2600mを超える宝永山は15~16度くらいであり、夜はさらに下がることになる。さらに富士山特有の暴風にさらされることもしばしばだ。冬には雪と氷に閉ざされる。また、砂と石は常に移動しているから、安定している地盤に根を張っているとはいいがたい。

そんな環境でも、オンタデやフジハタザオはしっかりと生きている。背が低いのも強風や積雪への対策と考えればうなずける。また、根も環境に対応している。オンタデは太い根を持ち、移動する砂や小石をある程度ならば押さえ込む。フジハタザオは砂の移動とともに、根も移動する柔軟さを持つ。専門家は「宝永火口のような厳しい環境においては、フジハタザオのタイプと、オンタデのタイプとがうまく組み合うことにより植物群落は安定している」(増沢武弘著『富士山の極限環境に生きる植物』)という。

 

厳しい環境に生きるオンダテ 厳しい環境に生きるオンダテ

宝永火口が大爆発してからしばらくは、周辺には植物さえなかっただろう。だが、5合目にはカラマツの林ができ、砂漠の世界にはオンタデとフジハタザオが進出している。310年もの月日をかけて植物は斜面を少しずつ登り、支配地を広げてきた。そして、その営みは今後も続く。50年後、100年後、宝永山はどんな姿になっているだろうか。緑に覆われた山になっているだろうか(2018年6月16日登頂、毎日新聞旅行の安心安全登山教室に同行取材)。

【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイド・小野博宣】

かれんなフジハタザオ かれんなフジハタザオ

●アクセス●

 宝永山の登山口は、富士宮口5合目になる。東海道新幹線三島駅、新富士駅、JR東海道線富士駅、JR身延線富士宮駅から登山バスを利用。運行時期があるので注意。富士山スカイラインを使ってマイカーでも行ける。交通規制があるので事前に確認を。

●引用・参考文献●

 「折りたく柴の記」(新井白石・著、桑原武夫・訳、中公クラシックス)

 「富士山宝永大爆発」(永原慶二・著、吉川弘文館)

 「怒る富士(上・下)」(新田次郎・著、文春文庫)

 「富士山の極限環境に生きる植物」(増沢武弘・著、富士砂防工事事務所・発行)

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〜山記者の目〜プロフィール
【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイド・小野博宣】
1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日新聞山の会」会長

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