〜山記者の目〜 2018年10月13日 小野博宜
四国の山時を超えて 石鎚山(1982㍍)
四国の雄峰・石鎚山(いしづちさん)は「伊予能高嶺(いよのたかね)」と万葉歌人に詠まれたほど、その歴史は長く、人々との関わりが深い。開山は1300年前と伝えられ、神体山(山そのものが神)として長きにわたり尊崇を集めてきた。
一体どれだけの修験者や庶民が登ったのだろうか。十世紀を越える長さである。おそらく星の数ほどになるだろう。その星雲に仲間入りしようと、私たちも山頂を目指すことにした。
雲を振り払うかのように聳え立つ石鎚山
2018年10月、松山市内からレンタカーで、「国民宿舎 石鎚」へ。系列の宿舎で前泊したよしみで駐車場をお借りすることができた。駐車場の脇に登山道の入り口があり、とても便利なのだ。
天気はあいにくの雨だった。が、山岳気象予報専門会社「ヤマテン」のサイトには、「正午から天候は回復する」旨の記述があった。これを信じて、歩み始めた。
リンドウの花が出迎えてくれた
私の歩調は、極めてゆっくりである。後続の方々に抜かれてばかり。高齢者の団体にも先を越された。だが、一向に構わない。息が上がらないように、汗をかかないように登れば、仲間との会話も弾み、周囲の自然にも目配りができる。これが私の流儀なのだ。
ゆるやかな登山道には、リンドウのつぼみが雨にぬれていた。水滴をつけた紫の花が愛らしい。霧がかかり、石鎚山はまったく見えない。
整備されて歩きやすい道なのだが、いくつもの木道があった。ぬれた木は登山靴の天敵である。グリップが効かず滑りやすい。足を木の上に慎重に下ろし、引き上げる。この動作を何度も繰り返した。
2時間ほどで公衆トイレのある休憩所にたどり着いた。ここからの登りは急になる。木道と、絶壁に取り付けられた鉄製の階段を手すりにつかまりながら進んだ。赤や黄に染まった木々の葉が目に付くようになる。鮮やかさに目を奪われる。
四国の山並み、ひときわ高い山は筒上山
40分ほどで山頂の弥山(みせん)に立った。だが、あまたの登山者がおり、地面も見えないほどの混みようだ。また、西日本最高峰の天狗岳も霧の中でまったくうかがえない。
混雑と悪天に少々気落ちしながら、焼きシャケの登山弁当を平らげた。正午も回ったころ、なんと天候が急速に回復した。
弥山から天狗岳を結ぶ稜線がはっきりと浮かび上がった。こちらより20㍍ほど高いという。岩峰が左右にうねるさまは竜の背中に見える。突き立ったナイフリッジは背びれに例えられるだろう。そこに張り付く登山者は今にも振り落とされそうで危なっかしい。落ちれば怪我では済まない。
天狗岳の稜線から弥山を望む。山頂には大勢の登山者がいる
私たちも天狗岳を目指すことにした。日ごろ練習をつんだ三点確保の技術を披露する時でもある。岩をつかみ、足を岩棚に乗せて、そろりそろりと進むこと十数分。西日本の最高地点に立つことができた。見渡せば、四国の山々が押し寄せる波のように連なっている。なんと悠々とした景色だろう。霧を突いて登ってきた価値はあるというものだ。
西日本最高峰の石鎚山の天狗岳
下山は、来た道を忠実に戻った。つぼみだったリンドウは、花びらを大きく広げていた。「おかえり」と言われているようで、とてもうれしくなった。
振り返ると、石鎚山の鋭い頂が午後の太陽に照らされていた。まとわりつく雲を追い払っているようにも見える。威風堂々とした荒々しさ、神々しさに、太古の歌人も、修験者も魅入られたはずだ。その想いは、21世紀も変わらない。共感は時を超えて胸に迫り、爽やかな風となって吹き抜けた。山の恵みに満たされた私の車は、四国の天地を走り抜けた。なんともぜいたくな山旅だったと、都会にいる今も思い起こしている。
【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイド・小野博宣】
●主な登山道● ロープウェーが使える表参道成就コースと、今回登った土小屋コースがある。成就コースは石鎚山名物の、4つの鎖場すべてを体験できる。ただし、転落の恐れがあるので初心者は要注意。土小屋コースは登山口付近の駐車場が整備され、自動車利用に向いている。なお、同コースに向かう石鎚スカイラインは夜間通行止めになるうえ、冬季は通行できない。
●伊予能高嶺● 万葉歌人・山部赤人(やまべのあかひと)が詠んだ長歌は、共同浴場・道後温泉本館の神の湯にある湯釜に刻まれている。聖徳太子や歴代天皇の行啓を偲ぶ歌の中に、「伊予能高嶺」の文字がある。
紅葉の中を下山する
- 〜山記者の目〜プロフィール
- 【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイド・小野博宣】
- 1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日新聞山の会」会長