〜山記者の目〜 2020年01月10日 小野博宣
北アルプス・長野冬の上高地
冬の上高地を渡る風が木々を揺らす。そのざわめきが旅館「山のひだや」の談話室まで聞こえてきた。ランプの灯がともる室内には、語らいの言葉と薪(まき)ストーブのはぜる音が静かに響く。明神池近くに建つ旅館には、電気は通じていない。水道管も敷設されていない。窓の外には、太古の時代と変わらぬ漆黒の闇が広がるばかりだ。
誰もいない河童橋。夏の喧騒はいずこに。
明るい夜とあふれるばかりの水が当たり前となった今、ひだやの暮らしは非日常の極みだろう。日常にはない得難い体験を求める「旅」という行為には、この旅館はうってつけと思える。ランプの下での食事など、北アルプス最奥の山小屋ですら過去のものだ。だが、旅館の魅力はそれだけではない。筆者はもう2つあると思う。
山のひだやの入り口
1つ目は、冬の上高地に宿泊できることだ。雪に閉ざされる時期は、車両の入域は禁止される。入口の釜トンネルから河童橋や明神池まで、深い雪の上を数時間も歩かねばならない。ホテルや旅館、インフォメーションセンターも閉まっている。夏の賑わいが嘘のように静まり返っているのだ。
ひだやの軒先にできたつらら
ひだやの存在を知る前は、「冬の上高地は、日帰りで数時間の滞在しかできない」と思っていた。宿泊できるとなると話は別だ。早朝の散策も可能になり、じっくりと腰を据えて自然観察ができる。朝焼けの明神岳や穂高連峰も撮影できるだろう。
白雲に朝日があたる明神岳
筆者も夜明け直後に、明神橋を渡り、朝日を受ける明神岳を見ることができた。氷が張った明神池にも行けた。また、冬枯れの中、サワグルミの冬芽や、ツガの可愛らしい実も確認できた。春の胎動はもう始まっているのだ。時間があればこそ、ゆっくりと歩き回り、自然と向き合うことができた。
梓川河畔のツガの実
魅力の2つ目は、ひだやを切り盛りする中谷さん親子3人のおもてなしにある。ご主人の肇さんは元板前という。奥様の友香さんは調理師の免許を持ち、娘さんの衣里さんはパティシエールとして知られている。3人が腕によりをかけた料理は、とてもおいしい。
中谷さん一家。左から衣里さん、肇さん、友香さん
冬季の夕食はとんかつ定食、朝食は雑煮が定番だが、「すべて手作り。ホウレンソウやカブ、ミズナもシュンギクも(自家栽培の)畑から摘んできています」(肇さん)という。雑煮に入っている大きな餅もお手製だ。野菜たっぷりの味噌汁、雑煮は滋味があふれている。衣里さんが作るクッキーは甘さ控えめで、甘いものが苦手な筆者もおいしくいただけた。肇さんは「釜(トンネル)から歩いてきてくれたお客さんには、絶対に後悔をさせない」「お客さんが喜ぶ顔を見たくて、料理を作っている」と語ってくれた。
具材豊富なお雑煮。ひだやの朝食だ
朝、出立の前に、肇さんは四輪駆動車を動かし、丁寧に雪かきをしてくれた。玄関を離れると、いつまでも3人が手を振ってくれた。梓川の河畔から宿を振り向くと、寒い中に3人の姿があった。遠目でもこぼれるほどの笑顔でいることが分かった。なんとすがすがしい方たちなのだろう。冷涼な風の中、都会に戻る私の心に温かな灯がともった(2020年1月4~5日)。【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイド・小野博宣】
ランプがともる談話室
【山のひだや】松本駅前で1902年に、3階建ての商人宿「ひだや旅館」として創業した。1953年に上高地の現在地に移転して「山のひだや」として営業を始めた。2013年に創業111年、山のひだやとして60周年を迎えた。旅館と併設する喫茶店「カフェ・ド・コイショ(Café do Koisho)」は、衣里さんのオリジナル・スイーツを求めるお客も多く、上高地の人気スポットだ(冬季は休業中)。
「山のひだや」https://www.kamikochi.or.jp/article/show/14
「カフェ・ド・コイショ」https://www.kamikochi.or.jp/article/show/99
一部が凍結した明神池
- 〜山記者の目〜プロフィール
- 【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイド・小野博宣】
- 1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日新聞山の会」会長