毎日山の旅日記

毎日新聞旅行

powered by 毎日新聞大阪開発株式会社

中央アルプス子供たちの木曽駒ケ岳

 中央アルプスの主峰・木曽駒ケ岳(2956㍍)は、深田久弥氏のエッセイ「日本百名山」(新潮文庫)と田中澄江氏の「花の百名山」(文春文庫)の双方で取り上げられている。読み比べると、関心のありかがまったく違っていて興味深い。その詳細はお読みいただくとして、決定的に異なる点がある。深田氏は太平洋戦争前に登り、田中氏は戦後に登頂していることだ。特に後者には、ロープウェイが登場する。  中央アルプス駒ヶ岳ロープウェイは1967年7月に開業した。この乗り物のおかげで、山深く初心者を寄せ付けなかった木曽駒ケ岳は、観光の山となった。
千畳敷カール。中央左寄りの岩峰が宝剣岳 千畳敷カール。中央左寄りの岩峰が宝剣岳
 甲信地方の梅雨が明けた8月1日昼過ぎ、ロープウェイに揺られて千畳敷カールに降り立った。標高は2612㍍という。富士山の吉田口六合目より高く、真夏というのに吹く風が冷たい。すでに高峰にいるのだ。ロープウェイから吐き出された人々は、眼前の絶景に歓声を上げた。若い親に手を引かれた幼子の姿もあった。  身支度を整えて、千畳敷カールに足を踏み入れた。ミヤマキンポウゲ、ハクサンイチゲ、タカネシオガマといった高山植物が出迎えてくれた。数は少ないが、キバナノコマノツメクサも見られた。小さく可憐な花を見ると、心がなごむ。八丁坂と呼ばれる急斜面をじりじりと登った。坂というより壁に近い。ハイマツを渡る風がほほをなでた。すぅーっと汗が引いていく。なんと心地よいのだろう。1時間ほどで稜線の浄土乗越に到着した。広々とした大地で、視界を遮るものがなくなった。振り仰ぐと、宝剣岳(2931㍍)の黒々とした岩肌が迫ってきた。ここで気が付いたのだが、小学生くらいの子供たちが交じった家族連れが何組もいた。小さなザックを背負い、父親らと喜々として歩いている。
ミヤマシオガマ ミヤマシオガマ
 今夜の宿である山小屋「宝剣山荘」に荷物を置いて、サブザックにヘルメットをかぶり、宝剣岳を目指した。花崗岩の岩場には鎖やロープがしっかりと張られている。脚の置き場所を見極め、一歩一歩を丁寧に運ぶ。15分ほどで頂きにたどりついた。千畳敷カールを真下に見下ろし、赤い屋根のホテルとロープウェイ駅がマッチ箱のようだ。ここにも小学生と思われる女の子の姿があった。宝剣岳に登るには岩場を登り下りする技術がある程度必要だ。また、鎖やロープも大人の背丈に合わせて設置されている。「大丈夫だろうか」と一抹の不安がよぎったが、女の子は大人たちに交じって器用に下山していた。
宝剣岳から見下ろす千畳敷カール 宝剣岳から見下ろす千畳敷カール
 宝剣山荘では、新型コロナ対策もあり、宿泊者の人数を制限していた。40人を収容できる大広間に案内されたが、その部屋の宿泊者はわずか8人だった。手足を伸ばしてゆっくり眠れるのはありがたい。ただ、山小屋の経営は大変だろう。夕食はソースかつ定食が出された。地元・駒ケ根市のB級グルメであるソースかつ丼にちなんだものだろうか。食堂には、小学生の姿があった。男の子が父親と一緒にとんかつをほおばっていた。父と山登りをした経験など私にはなく、ほほえましくもありうらやましくもあった。
宝剣山荘の夕食。ソースとんかつがおいしい 宝剣山荘の夕食。ソースとんかつがおいしい
 翌日は朝食後の午前6時過ぎに宿を後にした。中岳(2925㍍)の緩やかな登りが終わると、木曽駒ケ岳が視界に飛び込んできた。抜けるような青い空に、緑に覆われた巨躯が映える。その左肩には、どっしりとした御嶽山(3067㍍)が浮かんでいた。どちらの山も本当に堂々としている。その威容に圧倒された。
堂々とした木曽駒ケ岳。左に浮かぶのは御嶽山 堂々とした木曽駒ケ岳。左に浮かぶのは御嶽山
 いったん中岳を下り、駒ヶ岳の斜面を登り返す。冷涼な風に吹かれているせいか、汗はかかない。20分ほど歩き、頂きに着いた。登山道の脇には、白い小さな花が揺れていた。ヒメウスユキソウだ。日本のエーデルワイスと言われ、中央アルプスの特産という。今回の山旅で、ぜひ見ておきたかった花だ。美しい花の出迎えを受けた後は、山頂を歩き回った。槍ヶ岳をはじめとした穂高連峰が遠望できた。先日雨の中を登った乗鞍岳も見えた。周囲の絶景をほしいままにした。60歳を目前にした筆者が口にするのも恥ずかしいのだが、大展望に心が揺さぶられ、目頭が熱くなるのを抑えられない。陽の降り注ぐ山巓は暖かく、都会暮らしのストレスが身体から流れ出ていった。
日本のエーデルワイスとうたわれるヒメウスユキソウ 日本のエーデルワイスとうたわれるヒメウスユキソウ
 そして、そこにも親子連れの姿があった。男の子と父親と思われる男性が、カップ麺を仲良くすすっていた。親子の笑顔がまぶしい。日本晴れの頂きで食べた麺は、最高のごちそうとして記憶に残るに違いない。木曽駒ケ岳のあちこちに子供たちはいた。登山という趣味は子供には向かないと思っているが、大自然には子供の笑顔がふさわしい。こんな風景を見ることができたのも、ロープウェイのおかげだろう。【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会公認登山ガイド・小野博宣】(2020年8月1~2日登頂)
快晴の木曽駒ケ岳の山頂 快晴の木曽駒ケ岳の山頂
感想をお寄せください

「毎日山の旅日記」をご覧になった感想をお寄せください。

※感想をお寄せいただいた方に毎月抽選でポイント券をプレゼントいたします。

〜山記者の目〜プロフィール
【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイド・小野博宣】
1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日新聞山の会」会長

ページ先頭へ