〜山記者の目〜 2023年06月28日 小野博宣
静岡安心安全富士登山 ステップ⑤富士山1合目~5合目
富士山の麓(ふもと)と五合目を結ぶ富士スバルラインが開通したのは、1964年4月のことだ。東京オリンピックの開催に併せたという。それまでは、吉田口登山道がメインルートだった。富士山を信仰の対象にする富士講の信者らが登っていた。
富士スバルラインは、登山や観光のメインルートとして活気づいている。観光バスやシャトルバスがひっきりなしに通過し、その五合目には登山者のみならず、国内外の観光客が降り立つ。土産物屋やレストランが立ち並び、一大観光地となった。
富士スバルライン五合目。土産物屋やレストランが並び観光スポットにもなっている。
では、吉田口登山道はどうなっているのだろうか。その古道を、毎日新聞旅行(まいたび)主催の富士山教室の38人が歩いたのは2023年6月28日のことだ。教室は8月の富士山登頂を目指す。3月の高尾山から徐々に登る山の標高を上げて、今回はステップ5として富士山一~五合目を歩く。
午前9時50分、登山口となる「馬返し」で、渡辺四季穂・登山ガイドが「ちょいちょい休憩を取りながら歩きます」「体調はいかがですか」「それでは、出発します」と声をかけた。同ガイドを先頭にした12人の男女が動き出した。参加者は3つの班に分かれて、スバルライン五合目に向かった。
午前9時50分、登山口となる「馬返し」で、渡辺四季穂・登山ガイドが「ちょいちょい休憩を取りながら歩きます」「体調はいかがですか」「それでは、出発します」と声をかけた。同ガイドを先頭にした12人の男女が動き出した。参加者は3つの班に分かれて、スバルライン五合目に向かった。
富士山五合目に向かい、馬返しから出発した。
樹林帯の中をゆっくりと歩く。こもれびがまぶしく、時折吹く風が心地よい。「今は五合目まで車で行けるので、この道は通りませんが、素敵な登山道です」と語りかけた。10時19分、木造の廃屋が見えてきた。一合目だ。かつては合目ごとに茶店があり、旅人がのどを潤していたという。その名残の建物だろう。角柱の標識には「一合目 1520m」と手書きされていた。「5分休憩です。ザックを下ろして水を飲んで」と声がかかった。
一合目の廃屋。合目ごとに廃屋があった。
再び歩き始めた。渡辺ガイドが「(斜面が)緩やかなところでも、呼吸を細く吐いてください」「小またで、小刻みに歩いてください」と注意喚起した。二合目の休憩の際には、「ももの後ろを伸ばしてくださいね」「汗拭きをちょこちょこやることが長く歩くコツです」とアドバイスした。
歩いている最中にも、「踏み出した足に体重をかけて、地面をギュッと踏む感じです」と歩き方のコツを伝えた。正午過ぎには、三合目を発った。「コメツガの新緑がきれいですね」と話すと、女性の参加者が笑顔で頷いた。合目ごとに廃屋があり、吉田口登山道のかつての隆盛ぶりを今に伝えている。観光客の姿はなく、トレイルランナーと何度もすれ違い、追い抜かれた。ランナーの絶好の練習場所になっているようだ。
歩いている最中にも、「踏み出した足に体重をかけて、地面をギュッと踏む感じです」と歩き方のコツを伝えた。正午過ぎには、三合目を発った。「コメツガの新緑がきれいですね」と話すと、女性の参加者が笑顔で頷いた。合目ごとに廃屋があり、吉田口登山道のかつての隆盛ぶりを今に伝えている。観光客の姿はなく、トレイルランナーと何度もすれ違い、追い抜かれた。ランナーの絶好の練習場所になっているようだ。
渡辺ガイドを先頭にこもれびの道を歩く。
午後1時過ぎ、四合五勺の巨岩・御座石を眺めながら通過した。空は晴天を保ったままだ。「天気がいいですね」と渡辺ガイド。男性の参加者が「楽しいです」と答えた。同20分、五合目に到着した。一行は火山灰の砂の上を歩き、スバルライン五合目に向かった。途中、山頂への入口となる「泉ケ滝」前を通過した。山開き前なので、登山道は閉鎖してある。「本番はここから山頂を目指します」と伝えられると、参加者は目を凝らして見つめていた。女性は「ここから登るのですね。楽しみです。頑張ります」と意気込んだ。
四合五勺の御座石。よく見ると文字が刻まれている。
- 〜山記者の目〜プロフィール
- 【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイド・小野博宣】
- 1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日新聞山の会」会長