〜山記者の目〜 2023年08月01日 小野博宣
静岡安心安全富士登山 ステップ⑦富士山 (第1回)
蒼天(そうてん)の富士山山頂に、「さくらさくら」のメロディーが響いた。篠笛の流麗な音色だ。たまたま居合わせた登山者は「さくらの曲だ」「どこから聞こえるの」と首を傾げた。物陰に隠れるようにして吹いていたのは、小松原共子さん(73)だ。「日本の歌ですから、日本で一番高いところで吹くのが夢でした。夢が叶ってよかった」と笑った。「(富士登山は)娘に誘われていたのですが、あきらめていました。ここ10年は」と語る。しかし、まいたび(毎日新聞旅行)の初心者向け講座「安心安全富士登山教室」の告知を見て、「訓練を重ねれば行けるかもしれない」と思い立ったという。ステップ1の高尾山から娘夫婦と参加してきた。「3人でとても楽しい月日でした。人生最大のイベントになりました」と満面の笑みだ。
5合目にて全員で記念撮影
富士山教室の参加者19人は、23年7月29日午前4時半、7合目の山小屋・日の出館(海抜2720㍍)を出立した。先頭を歩くのは、岡野明子・登山ガイドだ。夜明け前の薄明りの中、「一定のペースでゆっくり歩きます。前の人と(の間隔が)空いても、あわてて追いかけないでください。岩場に差し掛かれば(歩くのがゆっくりになり)、必ず追いつけます」と語りかけた。登山道は岩場が連続して現れる。両手で岩をつかみ、腕の力で身体を支える場面もあった。4時42分、雲間から曙光が射した。「ご来光です。足場の良いところで見ましょう」との声がかかった。皆、カメラやスマホをまばゆい光に向けた。
山中湖に登る太陽
夜が明けても、黒い溶岩の斜面をよじ登り続けた。「マイペースでいいですからね」「前の人と間隔を空けて登ってください」とアドバイスが飛んだ。午前7時10分ごろ、山小屋・白雲荘(海抜3200㍍)に到着した。今宵(こよい)の宿だ。ここで登山に不要な荷物を預け、再び山頂を目指した。30分に一回程度のペースで休憩を挟みながら、斜面と向き合った。「一定のペースでいいですからね」。9合目の標識を確認し、顔を上げると山頂は間近に見える。だが、岩の急傾斜はいよいよ厳しくなった。息が乱れ、足元がふらつく人も。岡野ガイドは「ファイト―!」「頑張れ!」と何度も声を張り上げた。そして、9時56分、先頭が山頂に到達した。2人、3人と後に続き、岡野ガイドとグータッチを交わした。「やっと登れた」「ここが山頂ですか」と喜びと安堵の表情が広がった。そして、全員が山頂の土を踏むことが出来た。
急斜面の岩場を登る
休憩の後、山頂郵便局、最高峰の剣ケ峰を歩き、火口一周のお鉢巡りに挑戦する人もいた。下界は猛暑日が続いているが、山頂の気温は10数度の涼しさだ。笑顔の人々は冷涼な大気の中を、下山の途についた。
岡野ガイド(左)とグータッチをする参加者(右)
- 〜山記者の目〜プロフィール
- 【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイド・小野博宣】
- 1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日新聞山の会」会長